2017年1月4日水曜日

サガスカーレットグレイス レビュー

<まえがき>
2014年12月、サガ2015仮称として発表された本作。
往年のサガファンに度外れの衝撃と感動を与えた事は未だに記憶として残っている。

記念すべき25周年のニコニコ生放送で、まさかの「ソーシャルゲーム」新作の発表があり
放送を見ているほぼ全員がずっこけ、放送終了までお通夜状態で突っ走り
走馬灯のように歴代サガを振り返り、我々の前を去っていく……。

そんな瞬間に「河津秋敏 最新作」の文字が浮かび、
正真正銘小林智美氏の描いた新キャラクターが表示され
万面の笑みの河津秋敏氏が現れれば、そりゃ忘れる事のできない瞬間となるのも当然だ。

私自身、初めてゲームの新作発表に、ホロッと涙がでたかもしれない。

しかし2015年、具体的な情報はほとんど供給される事なく1年が過ぎる。
その年はソーシャルゲーム新作の稼働が始まった。
ガチャ画面で流れるサガフロの曲「バカラ」は、さすがに自虐が効いてるなと思った。

2016年、ゲーム画面の公開よりも前に「雪月花BOX」なるものの予約が始まり
その後TOKYO GAME SHOW2016で、実機のゲーム画面がお披露目となった。

ここで2度目の衝撃を、少なくとも往年のサガファンに与える事になる。

ダンジョンや街の内層が排除され、ワールドマップだけで構成された世界。

コマンド選択中に静止しているキャラクター達。

少なくとも以前よりスケールダウンしたと思われる技や術。

長いロードに長いバトル演出。明らかに動揺している司会の声優氏。
(もっともこれも演出のための演技だとしたら大したものだ。)

などなど、これらは動画を通して、悪い意味での衝撃を与えるには十分な要素であった。

私自身は、開発の伝えるゲームシステムとプレイヤーの間で、
少し齟齬がある状態で発売を迎え、「あ、これはこういう事だったのか」と
実際触った時に初めて分かるのが好きなので、
口で説明されても5割はわかり5割はわからない、くらいが理想だと思っている。

しかし流石に驚きだった。
ここにきてプレイヤーが想像していなかった
斜め上の物を持ってくる事を全く躊躇しないその精神力に。

TOKYO GAME SHOW2016で初めて公開された動画を元に
サガファンのあらゆる方面からあらゆる意見が飛び交っていた。

サガに対する理想・持論というやつだ。

「アンサガの再来或いはそれ以下」「サガは元から人選ぶ・万人向けじゃない」
「色ものに決まってる」「誰も望んでない」「プレイすれば面白いに決まってる」
「ソシャゲー」「マップしょぼい、キャラが変」「発売ぎりぎりまで動画ださないゲームはやばい」
「サガにグラは求められてない」「ミンサガみたいのでいいんだよ」
「なんで普通にロマサガの進化版ださないんだ」

どれもこれもがサガに対する理想像・自分像があっての言葉だと思う。


果たして、サガはどの様な道筋を辿って今日の風評ができあがったのだろうか。
その風評は歴史に則しているものだろうか。

そしてサガスカーレットグレイスは結局、どの様なゲームだっただろうか。

これから私なりのサガへの持論と、スカーレットグレイスのレビューをここに記していく。

前半はこれまでのRPGの形式と共に、フリーシナリオ搭載以降のサガを振り返り、
サガシリーズがどういうものであったかを、飽くまでプレイヤーである私目線で見直していく。
(ここは特に往年のサガファンや、サガに対してなんとなく一元さんお断りの雰囲気を感じている初見の人が読んでくれれば良いと思う。)

純粋に本作が面白かったのか面白くなかったのか、買うに値するのかしないのか、を読みたい方はゲームレビューの本編を直で読んで頂ければ。

【目次】

  1. 90年代RPGの従来事項とサガの関係
  2. いつから人を選ぶサガとなったか~サガシリーズを振り返る~
  3. サガはグラフィックよりもゲーム性に力を入れたシリーズだったか
  4. 結論
  5. サガ スカーレットグレイス レビュー


<90年代RPGの従来事項とサガの関係>


・90年代のRPGとはどの様なものであったか

90年代のゲームが身近にあった世代は、少なくとも20代半ばから30代前半あたりに差し掛かっている事と思う。
あなたがその頃のゲームプレイヤーだとしたら「RPG」と聞いてどんなゲームを思い出しますか。

恐らくこんな内容に違いない。

①中~大規模のワールドマップがある
②ワールドマップには階層のある施設(ダンジョンや街)が置いてある
③施設は隈なく探索できる
④中~大規模のメインシナリオの他、サブイベントが用意されている
⑤主人公の他、多数の魅力的な仲間キャラクターがいる
⑥育成の楽しみがあって戦闘が楽しい/戦闘はテンポ重視
⑦2Dの画面としては当時最先端のグラフィック

共通点を大雑把に挙げれば大体なこんなところじゃないだろうか。
以下これを「RPGの従来事項」と呼ぶ。


・ゲームデザインの取捨選択は行われていたか

最近のゲームはボリュームたっぷりでお腹一杯になってしまう…という様な理屈と対比して
昔のゲームは数ある要素を取捨選択し、凝縮したゲームが出来あがっていた。
或いは日本人は制限のある中でこそ良いゲームをつくってきた(尤もこれはゲーム外でもよく聞く)という話が展開されるけれども、RPGに限れば基本的にこれは過去の美化だと考えられる。

当時のほとんどのRPGは

RPGの従来事項+その作品の独自性

といった二つの領域で成り立っている。

取捨選択は「その作品の独自性」の中で行われ、「RPGの従来事項」自体の「足し引き」は言うほど行われていない。

例えばファイナルファンタジーであれば
アクティブターンを採用し、コマンドを選ぶ際にも常に時間が流れている事を意識させ緊張感を与えている。
サガシリーズは、次にくる攻撃に備えてじっくりとコマンドを選ぶ事に重きを置いている。

などという考察も出来るだろうが、ルドラの秘宝であれクロノトリガーであれ
「独自性」の枠組みの中で差別化を図っているのは同じで「RPGの従来事項」が崩れた事はない。

サガシリーズも(シリーズで連続して)サガフロ1まで「RPGの従来事項」は概ね崩れてはいない。
しつこいようだが「従来事項」があって「閃き」や「連携」といった独自性が際立っていた、という話だ。

なのでサガシリーズが「人を選ぶ」とか「敷居の高いゲーム」とか「通(気取り)好みのゲーム」などと言われると、私はとても困り顔になってしまう。

ロマサガ2やサガフロ1を今、未プレイの誰かに薦めたとして「古臭いグラフィックだね」
とか言う人がいても「RPG」として「つまらないね」という人間は言うほどいないだろう。

サガシリーズのほとんどは、時代は違えど我々のゲーム習慣にきっちり根付いた「RPGの従来事項」を守っていたゲームで、選民性は本来必要ない。

むしろ昔は「従来事項」を崩さないが故に全部盛り感は強く、それが繰り返しインプットされたからこそ、特異な要素を持つサガは問題なく受け入れられ、ゲームバブルにあったとはいえ当時100万人のサガプレイヤーがいたのだから、説得力はこの数字に代えさせていただく。


<いつから人を選ぶサガとなったか~サガシリーズを振り返る~>


前項「ゲームデザインの取捨選択は行われていたか」で書いたように、
サガは他のRPGと変わらず、そのほとんどが「RPGの従来事項」を踏襲し、
そこにプラスされた独自性こそがサガのアイデンティティとなっていった。

であるならばいつからサガは「異端」「人を選ぶ」という面が極端にフィーチャーされ、
「問題児」扱いされるようになったのか。必ずそのポイントが存在するはずである。

フリーシナリオが搭載されて以降のサガを追う事で改めて確認していきたい。



【従来事項をそのまま踏襲している4作品】

1992:ロマンシング サ・ガ
RPGの従来事項を踏まえた上で、
戦闘回数によって時間の流れを演出し、あたかも偶発的にイベントが発生しているかのように錯覚させる、フリーシナリオ制が搭載された第一作目。
独特の放浪感は全作中トップクラスに入る。

男女計8名の中から主人公を選ぶ事ができる。
これ以降サガは、プレイヤーに判断を委ねる"自由度"
そうでなければプレイヤー主体でゲームの中を動ける"自主性"は
あらゆる面で大事なキーワードとなる。
形を変えどこれは全作共通である。

上記の都合から、空間をモンスターで一杯にする必要があり、この点多くの賛否を生んだ。
今でも画面を埋め尽くす敵また敵を見るとかなりウンザリした気持ちになる。
オンラインゲーム耐性の試験紙ともなりうる。
しかし、ダンジョンの最後のフロアにはワールドマップに繋がる出口があったり、
雑魚戦は特に序盤、平均して1~2ターンで倒せるなどそこは割と親切設計。
極端に難易度が高いようなイメージを持たれているけれど、
敵の数に対する戦闘スピードは意図してかはわからないが、丁度いい具合に設定されている。
一部、強力で理不尽な全体技を使う敵がパーティを一掃する様はあまりに
鮮烈・爽快であり、その体験が多少誇張されているのかもしれない。
尤も、これ以降のサガもネタ化されるに相応しいインパクトをもったシーンは様々登場する。

上記の良くも悪くもサガらしい場面に加えて、
武器毎に異なる必殺技や、レベルを廃しステータス毎に成長するシステム、戦闘中の移動、ワールドマップから施設名を選択し移動する機能(今でいうファストトラベル)など、
以降のサガのあらゆる要素へ繋がる萌芽を感じさせる超荒削り且つロマンシングな一作。


1993:ロマンシング サ・ガ2
サガの名物開発者、小泉今日治氏が初参加する事で前作を進化させるどころか、
「閃き」や「陣形」、「LP(キャラクターの残機)」といったお馴染みのサガ専売特許要素が、ここに爆誕。
唯一無二の立場を築く。

この作品で"サガ"のパブリックイメージは大方決まったと言ってもよいのではないだろうか。
サガを具体的に知らない人でも「閃き」なら知ってるという人に割と出会う。

閃きはリアルタイムな戦況の逆転や、キャラクターの強化に繋がるといった実質的な内容があるからこそ感覚的なロマンも伴っている、素晴らしいゲームシステムである。
頭に電球が浮かぶという、漫画的発想も痛快。

プレイヤーは一人の皇帝となって帝国発展させ、各地域に住む人々と現地の抱える問題について話し合い、時には戦い、全土平定を目指す。

皇帝は戦闘による全滅も含めた、何らかの要因によって退位した際、
4人の候補の中から新しい戦士を選び、皇帝に任命する事ができる。
例え死んだとしても、それまで培った技術は新たな時代に受け継がれる。

この様な形で主人公の選択制は残されている。
この時点でプレイヤーは皇帝を任命する役目を担っているが、
プレイヤーはプレイヤーで、これとは別に、ある重要な責務を負っている。
(これはゲームをプレイしてのお楽しみ)

皇帝は重要な責務を負っているが故に、あらゆる地域に赴き、未開拓地域にすらも足を踏み入れる事になり、ロマサガ1の放浪要素は強く残っている。イベント数も比較にならないほど多い。
例え一周目をクリアしたとしても、多種多様なルートが残されており、二周目でも自分なりのゲーム体験をつくれるし、未発見だった、或いは解決できなかったイベントの攻略方法を探る事になる。これこそフリーシナリオの真髄ではないだろうか。

こうして帝国を発展させていくと、各地域の多種多様なキャラクターが協力してくれるようになる。
そうなるとまるで大きな家族のようであり、戦闘といった面以外でもゲームの魅力を存分に感じさせる。

力がなければ帝国は発展できないが、人からの信頼を得ずして帝国に将来はない。
各地域の人々とどの様に関わっていくのか、帝国をどの様な姿にするのかは、プレイヤーの手に委ねられている。

現在スーパーファミコン版を実機で遊ぶのは困難だろうが、
Vitaやスマートフォンで、スーパーファミコン版を基調としたリメイクを遊ぶ事ができる。

あらゆる面で完璧なサガを一本おすすめしてくれないかと言われたら、
私は未だにロマサガ2を推薦する。

ゲームシステム面でも、物語の面でも、キャラクターへの愛着という面でも、物量・アイディア、全てが最高水準に達しているからだ。

「RPGの従来事項」の全てを進化させている、ある意味では黄金時代のRPGの一つだ。


1995年:ロマンシング サ・ガ3
ロマサガ2の象徴的要素を引きついだうえで、ロマサガ1の様なRPGに回帰する。

遊びの面で大きく変化した点は言うほどなく、これでもかというほど「従来事項」はそのままで「これほど普通のRPGもないだろう」と言えるくらい、サガのイメージからすると普通過ぎるほど普通である。

遊びの面で多角的な進化がないとこの様な言われ方をしてしまうのだからサガは難しい。
(変わり過ぎてしまうと、昔の土台が恋しくなる。)

トレードやマス・コンバット、施政といった遊びは
本来それだけでゲームがクリアできる要素として用意したかったらしいが
ミニゲームとして留まっている。

しかしこれがなければイベントの少なさは余計に際立っていた事だろう。
そう、このゲームはイベントの数も過去のロマサガと比較すると少ない。

ロマサガ3は一旦、FF的な進化(最先端を担うという意味で)を遂げる。

グラフィックは前作よりも華々しく、ある意味ではエグく進化し、
その派手さに呼応するかのように、サウンドも同様の音色である。

(2が渋さのサガだとしたら3は極彩色の世界である。)

だから3の場合、珍しくグラフィックや演出、サウンドといった面がプレイヤーの意欲を大きくリードする。

サブイベントの冴えなささに眠たくなった頃にメインのボスと遭遇したら、恐らく圧倒されるだろう。
未だ戦闘の歴史的名曲の一つに数えられるそれもここで聴く事ができる。

そのおかげで、結局ゲームを最後までプレイする気を呼び覚ましてくれるだろう。

もちろん、前作や前々作を知らなければ、ロマサガ3でも物足りなさを感じるという事はないかもしれない。

とはいえ進化や敷居の高さといった観点から見ると、そのイメージからはかけ離れた普通のRPGとなっている。



1997年:サガフロンティア
記念すべきPlayStationのサガ第一作目。
子供ながらにスーパーファミコンと比べても、特に敵味方共にグラフィックが後退したと
感じられた本作は、ない頭で「これがポリゴン時代の幕開けかー」などと考えたものである。

世界は区分けされた星(リージョン)という形で表現されていて、それぞれが独立した文化を持っている。
例えばあからさまに京都風の街並みだったり、中世風だったり、ウォンカーァイの映画風の無国籍な街だったり。

ある意味ではGBサガに回帰したような、ごった煮系世界である。
この点が功を奏して少しチープな敵や味方は、技・術のエフェクトとも相まって
サイバーな雰囲気にピタリとマッチしている。
単に綺麗なだけでは絶対に醸し出す事のできない世界である、という点で必要だった失敗だった事がわかる。

何故失敗と表現するのかというと、サガフロンティアのグラフィックに対する違和感は、
どうやら当時の現場事情に裏付けされたものだったそうだからだ。

恐らくそちらの内容は検索か何かで引っかかると思うので、調べていただきたい。

プレイヤーは7人の主人公の中から好きなキャラを一人選ぶことになる。
今回からはプレイヤー側で名前のつけられるものとつけられないものとある。

飽くまでプレイヤーとして第三者であるキャラクターの物語を追っていくという事に重点を置いているのかもしれない。

サブイベントともなると、その数はシリーズ中最も少なく、どの主人公を選んでも割かし同じ遊び方になりやすい欠点は持っている。

しかし最初から行ける場所が多いのと、仲間キャラクターがとても多いので、その探索だけでもかなりの自由度を感じる事ができるし、知らなければ知らないほどここに何かがあるに違いないと深読みし、勝手に冒険にのめりこんでいる。

何もなくとも冒険しているという思いこみだけで、歩き遊び疲れて深い眠りにつけるだろう。
本質的にこれはクリアするためのゲームではなく、冒険するためのゲームであると感じる。
そういう点でロマサガ1と並んで"放浪感"の漂うゲームである。
ところで、未プレイの人がこれを読んでしまったのだとしたら、恐らくあなたの冒険は多少失われてしまったかもしれないが、申し訳ない。

ゲームシステム面では「閃き」以来の天才的閃き「連携」が登場した作品である。
これ以降連携は手を加えられながら続投する事になるが、本作の連携を一番だとする人も多いかもしれない。

元々派手な技や術をうまく繋げる事で更に派手に、強力に、面白くできるのが特徴。

ロマサガ2に次いで認知度が高いシステムと言える。

締めに入ろう。
上記でも述べたとおり、
徐々にサガもイベント数の縮小や、実装し忘れの宝箱・イベント
などなど未完成感が強く目立つようになる。

(また、シリーズのディレクターである河津氏が納期厳守主義である事が
ファンの間で一般知識となったのも、同ゲームの攻略本「裏・解体新書」からである。)

ここから徐々に異端のサガに入りつつある予感を抱かざるを得ない。
ハードの性能が上がっても、従来事項を維持しなければならない無理がでてきているともいえるだろう。

進化すればするほどどのゲームも従来事項の残し方に悩まされてきたのだ。
要するに従来事項の全てを残して全方位に進化していきたいが、
それをするとどれも尻切れトンボになる、というジレンマである。

しかし、遊びやすさとキャラクターの豊富さからいって、ロマサガ2に次いで
おすすめしたい作品の一つである。

最近のソーシャルゲームには「自分だけのパーティを組もう!」などという広告が見受けられるが、そういう点でも、最高のゲームである。


【人を選ぶ時代に突入】


1999年:サガフロンティア2
90年代最後にして最高の世界観をもったサガの誕生である。
ここで一旦2DRPGの職人技巧は頂点に達する。世界ゲーム遺産の一つと言いたい。
純中世を基調とした世界観はドットから背景、音楽に至るまで徹底して統一されている。

しかし発売直後、後述するゲームシステムの抜本的な見せ方の変更に加えて、サウンドが伊藤賢治氏から浜渦正志氏にバトンタッチした事は感覚的な面からいっても劇的な衝撃を与え、この時代から既にいたであろう「オリジナルメンバー至上主義者」から強い反発を喰らう事となった。
何を隠そう子供時代の私もそんな人間の一人ではなかったろうか。

伊藤氏の音楽は「肉食」であるとすれば浜渦氏の音楽は「ベジタリアン」とでも大雑把に形容できるだろうか?
そのアコースティック具合は画面の爽やかさとも相まって、刺激物に慣れて痺れた舌では深く繊細な味の多様さに気づくには若干の時間を要した。

こういう人間がもし、多くいたのであれば一方で、従来のゲーム音楽文化がインプットされた結果だともいえる。

街やダンジョンの音楽、イベントシーンの音楽、戦闘の音楽、にはそれぞれ別のメロディ、別のジャンル、音色があてがわれ、
ある意味では統一性がなく目まぐるしく、飽きがこない構造となっていた。

サガフロ2の場合、いくつかのモチーフを元に、オーケストレーションの様式にある程度従いながら様々なアレンジが加えられているので、「メロディの使いまわし」「地味で退屈な音楽」といった従来のゲーム音楽文脈に立つが故の批判にさらされる事となった。

しかし画面や物語の全体に形容し難く言い切る事のできない光を、この音楽は与えているのである。

それら音楽は時に、古典的なオーケストラ風の内容も聴けるが、多くはフランス風のルールに基づき
そしてクラシックとは別の、作曲者自身のルーツを掛け合わせ、ゲーム音楽としてオチ着けた物ではないだろうか。

今現在では各ゲームに対し、象徴的なテーマを用意し、大事に丁寧にそのテーマを展開・アレンジしていくのは最早当たり前の事となった。
メロディ大量消費型から、節約型に移行したと言ってもよい。
そうした時代の幕開けを端的に宣言している。

そう考えるとサガフロンティア2の場合、伊藤氏ではどうやっても世界観に合う音楽は提示できなかっただろうと思う。

それは良い悪いで決められるものではなく、目指す方向性が違うのだ。

パーマネントメンバーが揃っている事は、ある日突然レベル99の人達同士で何かをやりはじめるのとでは連携に雲泥の差があるし、受け手を安心させる要素ともなるが、いずれマンネリにも繋がる。

サガはアート面でもゲーム面でも違う何かを欲していた事は間違いない。
或いはサガフロンティアのある種の失敗を違う形でクリアする必要もあっただろう。
そういう意味で浜渦氏は、その失敗のクリアをするための重要な要素を担っていたのである。

まだ書きたい事はいくらでもあるのだが、もうこの話に行数を費やし過ぎている事は重々自覚してはいる。

飽くまで何から何まで従来型からの大きな変更があったという事の布石である。


ゲームを始めると、ワールドマップには街やダンジョンといった施設名ではなく、
歴史の出来事を現わすイベント名が表示されている。
イベントを押すと、そのイベントが始まる。
プレイヤーはある程度順を追いながらもそこそこ自由に、歴史の出来事をゲームとして体験できる。
これは「ヒストリーチョイス」と名付けられた。
ヒストリーチョイスは

イベント内容施設内層+シンボルエンカウント

といった3つの要素を内包していて、
基本的にイベントの間でだけ、プレイヤーはキャラクターを動かす事ができる。
ここで初めて「RPGの従来事項」である「①」の在り方に大きく手を加えられたことになり、
やはり従来のファンは大きく戸惑う事になる。

好きな時に好きな街に行けるタイミングは非常に少ないし、
好きなキャラクターでパーティを組む事も出来ず、フリーシナリオも弱まった感がある。
しかしフリーシナリオは元来完全にプレイヤーの自由に出来るというわけではなく、
飽くまでイベントとイベントの間の冒険や、イベント発生の順序を変えたり無視する事などを、総じてフリーシナリオと呼んでいたものである。
(単純にプレイヤー側に自由を与えたRPGは別にある。)
ある意味ではヒストリーチョイスも、フリーシナリオの角度違い、と言えるところもある。

やりたいイベントからやっていけばいいし、興味がない・面倒だなと思ったら後回しにも出来る。特定の順序じゃないと発生しないイベントなどもある。

いずれにせよ、プレイヤーの行動が多少制限されるという意味で、
フリーシナリオな感触は弱まった事は間違いない。
その代わりにロマサガ3やサガフロンティアといった尻切れトンボで未完成と呼ばれる物語は、本作では大幅に強化されている。

これまでゲームシステムが面白いサガと言われてきたのに対して、
ストーリーもおもしろいサガになっている。

キャラの掛け合いは抜群に多いにも関わらず、直接的な表現は少なく、あまりに極自然すぎる台詞まわしは一見すると普通だが、いかに普通の事を高度にできてしまっているかを感じさせる。
とことん行間の世界であり、その表現はやはりアートワークスに比例する。
いや、この世界があってアートワークスがそちらに準じているのだろう。
手あかのついた演技指導を受けた声優には、この台詞群を自然に演技するのは不可能だろう。
とても頭の良い弁舌を振るうわけでもなく、怒り狂うこともなく、ごく自然に自然に、
吐息のように自然な言葉が、このストーリーには詰まっている。

具体的に、
術社会にあって術不能者という過酷な運命を背負った貴族・剣士の物語「ギュスターヴ編」
お宝発掘人の一族の物語を描いた「ウィル・ナイツ編」とに分かれている。

前者は割とストーリーを再生するだけのイベントも多く、貴族という肩書きの都合上
戦争シミュレーションの様な戦闘をする事もある。

一方後者はお宝発掘人、ディガーの一族に生まれた青年が主人公で、冒険要素が非常に高い。
こっちは普通のRPG感覚で遊べるだろうと思う。(私はギュス編が好きだけれど……。)

イベントシーン上、一対一で戦う場面もあるため、新システムとして「デュエル」が登場している。
ある意味ではターン制格闘ゲームとも言うべきこのシステムは、「ためる」「けさ斬り」といったコマンドを繋げる事で必殺技や術に繋がるという画期的な内容である。

狙う閃きといった感のあるこのシステムは、閃く時の演出よりも格好よく、
運よく全てのコマンドがバッチリはまり、特定の技や術に繋がった時の脳汁噴出は間違いなし。

しかしこのシステム自体、非常に分かり辛く、予備知識ありきのゲームとなってしまっている事も否定はできない。

連携は前作から続投している。
デュエルと同様、偶然発生するような感覚から狙う感覚が強くなっている。

今までサガをプレイした事のない人で、特にストーリーが大事な人になら、サガフロンティア2は強くオススメしたい。

しかしこの作品から、サガは異端、人を選ぶ、予備知識ありきといった
風評が強まったと言えるだろう。

それもそのはず、一般的な「RPGの従来事項」に手を加えたのはサガの歴史上、
この作品が初めてだし、複雑化した戦闘システムには
おもしろさに達するまでの説明が足りなかった。

その次のサガでは、それが臨界点に達する。


2002年:アンリミテッド:サガ
サガの歴史上でサガフロ2以上の変化を遂げた最も「人を選ぶ」作品である。
或いはサガを「人を選ぶ作品」と定義付けたサガ、と言える。

「従来事項②③⑥」の見せ方に大きな変化がみられる

「メニューと背景だけで構成された街」「駒を動かすようにして進むフィールド内層」
「ルーレット判定のあるフィールドイベントや戦闘」「キャラ成長はシナリオクリア後」

などなど変化は多岐にわたるうえ、それを伝えるための明確な「説明書」が存在しなかった。
このため遊び以前の問題である「HPの回復方法」や「フィールド内での移動方法」がわからないといった問題が発生する。

(実際書きながら、未だにそれマジか、と思う。
周りの風評を聞いていた時も、あまりに頭の悪い反応なんじゃない?
と、信じられなかった。
しかし実際プレイしてみて
"そんなもんコントローラのあっちこっち押してりゃわかるだろ戦法"
の私は最初、根を挙げました。なので、マジなのです。)

未だに思うのはこのゲームは、用意されたルール自体を駄目と判定されたわけではなく、
極めて説明不足である面が強く、そこで切り捨てられてしまったのではないか、と思う。
そして本来好事家の支持へと繋がるはずだったにもかかわらず、
その人達への理解もかなりの時間を要してしまったのではないだろうか。

以下はゲームに対する私見である。
アンサガは、その演出面からいっても、かなりアナログなゲームを意識した風にみられる。
そのゲーム性は必然的に、80年代から90年代後半を経て、体系化・整備され、
より一般の人に向けて快適性を重視し、洗練していったテンポ感とは別の価値観を模索しているし、今風の言葉で言うとかなりテンポが悪い。

ボードゲームの様に、戦い以外でも都度運が重要になってくる点も
場合によってはかなりストレスである。

90年代の整備された遊びのみインプットされた身体では、実際、ルールを理解したとしてもかなり厳しいゲームである事は、改めて遊んでも強く感じる。

(河津秋敏氏のワンダースワン作品である「ワイルドカード」やGroupASK制のPCゲームである「カードワース」は、仮にアナログゲーム風であるとしても、ルールは極めて明快である。)

こういった点から「サガ」を最も異端たらしめる作品となっている事は間違いない。

そしてなんとも個人的な事だが、この作品は、
究極スーパーウルトラハイパーエクストラダイナミックエレガントゴッドアーティストである
小林智美氏が絵を担当されていない。

「神~」などとは安易に口にすべきではない、高貴かつ畏怖されて然るべき言葉であり、
この世で私が「神」といったら「小林智美」(他何名)を指す。

私はゲーム屋のアンサガ試遊台前で、絶望し、地べたに手をつき、
「小林さんじゃないなんて、、ウゥっ」と、惨めに涙をポタポタたらすと気を失った。
店員さんに「お客様、どうされたんですか、生きてますか!」と、救急車を呼ばれ、一命を取り留めたことは、今となっては笑い話だが……。


ともあれ、全くサガ経験のない者なら、このサガも難なく受け入れられるのかもしれない。
ましてこのネット時代、情報は沢山あるのだし、楽しみ方も十分に知れるだろう。
それに本作が「テンポ感」や「物量」といった「従来事項」拡張以外での変化を提示しようとしたのはとても意義深い事であり、ゲームは脈々と深いところで繋がっているものであり、例え世論的に駄作と言われたとしても、だからといって無くていいなどと言えるものではないと、ここまで振り返って強く実感するものである。

このゲームはただ、駄目でつまらないゲームとして没したわけではなく、
ある意味では「従来事項」(ゲームのテンポ性や物量)に対する別の価値観の提言とその拡張の限界を告げる予言的な立ち位置にいるだろう、という事だ。

あの日の実験が今日のおもしろさ、別の見せ方に繋がっている事は間違いない。
どれ一つとて欠けてはならない物なのである。

だがここでは、それまでのRPG経験者に根付いた「従来事項」にサガフロ2を超えた変化が加えられた、そして変化した事への「伝え方が悪かった/足りなかった」、
そして結果的に「サガが人を選ぶゲーム」「異端のゲーム」としてインプットされた、
この事実のみを抑えておけば良いだろう。

(今では私も、ほのぼのとした世界や、ジュディやアーミックといったキャラクターがとても好きである。)

<サガはグラフィックよりもゲーム性に力を入れたシリーズか>


確かにシリーズを通して、ゲーム性(即ち遊び)に力を入れてきた事は間違いのない事実である。
だからこそ、未だに他のRPGと比較しても遊びの部分では、劣る事はないと言える。

ただ、サガはグラフィックに力を入れてないゲームだったのかというと、
そのイメージにも正直懐疑的である。

恐らく、表街道を驀進し最先端を担う事を課せられたFFに対して、
サガはグラフィックがアイデンティティではない、という考えなのだろう。

しかし、SFC中~後期からPSの作品を体験した人間は
その凝った世界観やアート、卓越したドットにやられていて、
この点で「ゲームはグラフィックではない」などと言えるはずもない。

特に未だに最高峰のドットを有する作品の例えとして用いられる
「ロマサガ2~3」や「サガフロ2」を有しているサガシリーズに対し
「サガはグラフィックよりもゲーム性を重視したゲーム」的な"イメージ論"を述べるのは
美意識高き職人に対してあんまりな放言である。
「従来事項⑦」が当たり前であった自分にとって「サガフロ」に抱いた違和感は、大きいものであった。

この違和感こそが、SFCからPSへ移行した時の違和感こそが、
ドット絵最高峰から一旦3D表現の初期へ移行したこの違和感こそが、
プレイヤーにいつの間に、超自然に根付いていたグラフィックへの拘りを再確認させたはずである。

プレイヤーにとってサガが「グラフィックを重視したゲーム」でなくなったのは、
ロマサガのリメイクである「ミンストレルソング」からである。

美麗なドットから、謎等身のキャラクターに変わり、グラフィック面で大きく拒絶されたタイトルである。

ここを切り取って「サガはグラフィックを重視してないゲーム」として扱われるようになった。

しかしサガは、長きにわたり、ゲーム性にもグラフィックにも力を入れていた、
という事実を改めて、記しておきたい。

そして世界観を端的に現わすグラフィックは本来、ゲーム性の一部を担っている事も。

<結論>

噂話は人から人へと伝わる過程で誇張され、脚色されるものである。
サガは常に誇張が大好きなインターネットとはすこぶる相性がいい。
「殺してでも奪い取る」「かみはバラバラになった」「わたしが町長です」
などなどお馴染みの台詞は紹介する側も楽しく、聴く側も楽しい。
そうした台詞に「アンサガの逸話」を加えれば、伝説は出来あがる。
しかしこうした楽しみはサガのほんの一部分しか現わしておらず、良い所は沢山ある。

サガを一通り振り返り、ゲームプレイヤーを小手先の屁理屈で拒絶してきた歴史でない事は改めて一目瞭然だと感じる。

「サガフロ2」や「アンサガ」で見られた急進的変化に強くフォーカスされて、
シリーズ全体までが、いつの間に敷居の高さをまとってしまったというのが
事の真相ではないだろうか。

この2作に便乗して「サガは人を選ぶ」などと言うものもあるが、
それもゲーム自体が特別特殊だったわけではなく、特にアンサガは、
とりあえず最初の門を通るための、説明が足りていなかっただけだろう。

そして、様々な事情で「従来事項」を崩さねばならない時代の到来を
端的に示すのが「サガフロ2」や「アンサガ」である。
多くのプレイヤーは「従来事項」をインプットし、それを基盤としてゲーム性の拡張を考えてしまうのだから、とても厳しい時代に突入した事になる。

しかし、そうした時代に突入してようやく製作工程での取捨選択に神が宿る
RPGが生まれていくのだろう。

結局、遊びが大好きなゲームプレイヤーに向けられて作られてきたサガシリーズは、
RPGが好きな人なら本来、だれでも手にとる価値があるだろう。

どのサガであれ、直観で手に取ったサガがその人にとって最初のサガなのだし、
遊んでみれば意外なほどに
「人を選ぶゲーム」のイメージからは程遠いゲーム体験が待っている。





<サガ スカーレットグレイス レビュー>



約53時間プレイして、ようやくレオナルド編の初回エンディングを迎えられた。
現在の気持ちを語らんとすることもできるだろうが、一旦ここでは後回しにしよう。
飽くまでレビューは私がプレイしてどう思ったかを伝える場であるし
中立になどなりようもないのだが、出来るだけ言葉で本作の本質に迫り、
購入判断の指標の一つとして、微力ながら役に立てれば本望である。


【第一章:フリーワールドについて】
スカーレットグレイスの世界は「ワールドマップ」と
いくつかの機能を有する「シンボル」のみで構成させる。
即ち「階層のある施設」や「シンボルエンカウント」といった従来の要素が、
ごっそり削られてしまったのだ。

これこそ、事前情報でとても問題視された「フリーワールドシステム」である。

飛び出す絵本風の見た目を持つワールドマップは、どこか心許なさも感じるのだが、
いざプレイしてみると想像以上に広大で、各地域毎にユニークな特色がある。





シンボルには、大まかに言って3種類ほどの機能が与えられている。

①イベントシンボル
②戦闘シンボル
③街シンボル

は大体「戦闘」と「イベント内容」が1セットになっていて、
実質、これをシンボルエンカウントと呼んでも差し支えがないくらい、
世界中に様々な姿形をしたがころがっている。

多くの場合、プレイヤーのアクションに対し、新しいに変化したり、
の機能を終える際には、の機能に変化する場合もある。
また、②と思っていた物が、の機能を有している事もある。

プレイヤーの行動によって世界は目まぐるしくダイレクトに変化していき、の数も加速度的に増えていく。

ある意味ではイベントの締めくくりは戦闘であり、イベントのスイッチも戦闘であるという、
RPGの根本的な遊びの諦観に達した様なゲームシステムである。

この様な形式をとっているがために、中には戦闘がだまになり過ぎ
作業感の強いイベントもあるものの、飽くまでゲームの中身をとことん充実させるため
「階層のある施設」をばっすり斬り捨て見せ方を変えた事は英断。

のシンボルは通常「洞窟・鉱山」「森」「モンスター」といった姿をしている。
ここではあらゆる意味で、キャラクターを鍛える事を目的としているため、
往年のサガファンならば「道場」と考えればわかりやすいだろう。
従来のサガであれば、レアアイテムをドロップさせるために、ゲーム機のリセットすら辞さなかったが、で何度も戦闘が出来るため、あまりそういう要素はない。

で詰まったらでキャラを鍛え、素材を集めたらの街で武器や防具を強化する。そしてに再び戻る。

大体こんなゲームフローとなるだろう。



特にゲーム一周目は、プレイヤーそれぞれが、それぞれの主人公で相当個性的な道筋を辿る事になるだろう。これこそがサガの本質的な体験の一つである。

もしゲームプレイに疲れてしまったら、その日のプレイはもう終わりの時間。
明日の冒険に備えよう。


【第二章:戦闘について】

ルールや数値の持つ価値を明快化し、行動の一つ一つに意味を持たせるため
敵味方共に、行動順序・行動内容が表示されたタイムラインが採用されている本作。
よって従来作と比較すると、戦闘にも大幅な変更が加えられた。
ここでは新しくなった戦闘について、いくつかの項目に分けて振り返っていく。


"テンポが遅い≠テンポが悪い"

まず最も従来作と異なる点は、雑魚戦も含めた一戦一戦が比較的長い事が挙げられる。
イベントとイベントの間隔が短い分、一戦の比重が大きいというものだ。

今まで、次のイベントや目的地に入るための"結論"には長い道中があり、
その道中には敵シンボルが歩いていて、沢山の戦闘をこなす必要があった。
その戦闘は敵シンボルの数が多い事から短めに設定されている。

だから長くなった戦闘はゲーム自体のテンポを遅くする=テンポが悪くなると、普通考えてしまう。
しかし、「フリーワールドについて」の内容と多少重複するが、
イベントとイベントの間隔が短いために、どんどん話が進んでいく感覚があって、
この点からも戦闘その物がゲームのテンポを悪くしているとは感じづらいだろう。
要するにとても、メリハリが利いているのだ。

戦闘自体も、常にタイムラインを意識し、敵の行動に気を配り、
ゆったりとした時間のなかでしっかりコマンドを選択しなければならないため、
長い時間の中に無駄な空白は少ないし、「テンポが遅い=テンポが悪い」
という風にはならず、密な時間を過ごして戦闘を終えた、という感覚が残る。

動画公開初期「Ready GO!」のテンポが悪いとか「コマンド選択時のキャラが動いてない」といった演出面からの批判が多く存在し、また私自身前者については非常に高い不満を持っていた。

しかし、沢山の情報量に都度適宜対応しなければならないからこそ、コマンドを選んだ次の「Ready GO!」の空白は然程気にならないし、この様な事を気にしている余裕はない。
ボタン操作する緊迫感までが動画に映らないのは残念だ。


総じて、ある意味では商業的洗練の結果である"テンポ至上主義"に対する回答となっている。


"ダイナミックレンジの抑制と戦略性の維持"

飽くまで「ルールを駆使する」「数字の持つ意味を明確化する」という価値観に基づき
設計されたであろう戦闘は"質実剛健"という言葉がぴったりである。

終盤に至るまで、ダメージは大きくないし、行動ポイントや各種ステータスの値も同様で
そのどれもが、手に負える数字に抑えるという意図が感じられる。

従来作を既に体験していると、非常に地味に感じられるかもしれないが、飽くまで
戦略性を際立たせるための、良い意味でのダイナミックレンジの抑制だと捉えられるだろう。
戦略性の高さが具体的にどの様に成り立っているのかを見ていこう。

①行動ポイントの価値と戦況の変化
パーティ共通となった行動ポイントは、陣形によって多少の前後はあるものの、
大体8ポイントが最大である。
ポイントは最初から最大なわけではなく、普通、ターンを重ねる毎に1ポイントずつ増加していき、最終的に最大値に達する。
戦闘序盤から終盤にかけての戦い方が徐々に変化していく形だ。

従来要素である"閃き"は依然として戦闘の流れを変えるロマン要素も担ってはいるが、
序盤から終盤までの戦闘手段を増やす戦略拡充要素の方が強く、以前であればレアだった必殺技も比較的早期に揃うようになっている。


この様な戦闘であるため、行動に設定された消費ポイントもかなり明快なルールに基づいて設定されていると考えられる。

例えば単なる通常攻撃に相当するものの消費は「1ポイント」だし、通常攻撃であっても大剣や弓のように多少強く、状態異常も付加されるものであれば「2ポイント」である。

この様に、ダメージの上昇、状態異常やタイムラインの操作、カウンターやインタラプトといった性能が付加されるに従い消費ポイントは上がるようになっていて、ポイントの価値が単純明快。

武器に設定された上位の技は終盤に使用するための物であり、当然消費ポイントも高く、それ単体で使用するにはやや不便である。


②連撃
そこで登場するのが連撃という新しい要素である。


連撃発生後は、それに参加した全てのキャラクターの行動ポイントが軽減される。
通常時なら消費ポイントの高い必殺技を、一気に叩きこむチャンスとなる。
言わば連撃は、強力な技を連続して使用するための準備段階であり、次が総攻撃のターンで、ある意味ではこれを「連携」と言ってもよい。

連撃はタイムライン上で相手や味方が倒れた時
敵同士もしくは味方同士がタイムライン上で繋がった時に必ず発生する。
連撃は上記の要素の他、一部の状態異常を回復するので、緊急時には積極的に狙っていきたい。

連撃を発生させるためには、単にキャラクターのスピードが早ければいいわけではなく、
敢えて遅い技を使って調節する必要があるし、そもそも「ここで連撃必要か?」を
考えなければいけないシーンもある。連撃で敵を倒した事によって、相手の連撃を招く場合もあるからだ。

③たまたま発生した状態異常から狙う状態異常へ
「スタン・マヒ」や「すいみん」「混乱」といった状態異常は
攻撃を行った際にたまたま発生したオマケ要素に過ぎなかったが、
シーンによってはかなり積極的に狙う必要がある。

コストパフォーマンスに優れる空気投げは終盤も役立つ

自分より強い敵と戦う時には先手をとって「スタン」を与えたり
「毒」を与えて早めに死んでもらわなければ、パーティの莫大な損害は免れない。
或いは味方が混乱にかかった時、勝手に行動を選択されてしまうため、
場合によってはその一人だけで、行動ポイントのほとんどを消費してしまい、
予測していたタイムラインの動きをみだされてしまう。

実質的な効果を伴うため、ダメージを積極的に与えていく補助手段として
重要な役割を果たす。

「(状態異常に)かかってくれ…!!」と念じる意味で運要素な事に変わりはないが
飽くまで戦況をコントロールするために、狙う行動に変化した事はおもしろい。

④タイムラインを操作する
状態異常の他、「バンプ」「リザーブ技」も戦闘をコントロールする上で重要な役目を果たす。

バンプ技:攻撃を与えた相手をタイムラインの後方へずらす。
ずらした際に味方や敵同士が繋がったとしても「連撃」とはならない。

カウンター技:敵の攻撃を無効化し、反撃を加える。
一見運要素にも感じるが、ヘイト管理や状態異常を駆使する事でカウンターを狙うキャラに攻撃を一極集中させる事が可能。

インタラプト技:特定の攻撃属性に反応し、先手の攻撃を加える。
カウンター技とは違い行動自体を無効化するわけではない。

力技で攻略できる戦闘も確かにあるものの、そうして進めるとスマートな攻略でなくなり、
粗野な振る舞いに罪悪感の生まれるところがいくつかある。

敵のインタラプトやカウンターが連続発生すると"ウワ~読めなかった"と、
恥ずかしくなってくるのだ。
脳筋で勝利してしまった戦略にあまりにダサく感じてしまい、1度リセットしてしまった事があった。
そういった技は「間接技」を決める事で相手のリザーブ技を解除する事ができる。

反撃を許さない弓技
インタラプト成功


"戦闘総括"
敵味方入り乱れる戦略性の高い戦闘は、総じて「たまたま」から「狙う」要素が強まっていて、その影響で各技が担う機能も多少複雑化しているものの、
戦闘報酬の達成条件がそのままあるルール周知に繋がっているなど、知らない状態を作らない事にも徹底していて、これでもかと"律儀"な戦闘である。

戦闘報酬達成条件
ルールをきちんと理解する事で歯ごたえのある戦闘を正しく楽しめ、結果的にゲーム終盤まで緊密性が薄れる事はほとんどなく、ターン制バトルの新機軸を生み出せている。

しかし「複数対複数」を想定しているであろうルールは、相手が単独のボスだと
途端にその輪郭線があやふやになってしまう欠点も持っている。

そしてあまりに鍛え過ぎると最後の最後で、ほんの僅かにインフレしてしまう甘さもある。
確かにオフラインゲーム特有のインフレは、成長に対する御褒美ではあるが、
ルールがおもしろいため、もっと強い敵や入り組んだ行動を超終盤に至る頃には望みたくなるほどだ。

総じてこのスタイルの戦闘は物量や派手さよりも、ルール作りを徹底した
"スターターキット"的な位置づけになるだろう。

サガの再スタートにふさわしい戦闘システムとなっている。



【第三章:メインイベントとサブイベント】
①メインイベント
主人公毎に用意されたメインストーリーは
それぞれの背景に合わせてしっかり作りこまれていて、
尻切れトンボだったり、物足りないといった事はない。


いわゆる、泣き叫んだり怒り狂って喧嘩したり、お涙頂戴といった、
みていると恥ずかしくなってしまうお決まりの演出やくどいシーンは一切ない。
好みがわかれるところだろうが、行間に込められたキャラクターの気持ちを察すると、
心にじわっとくるものがある。

②サブイベント
ワールドマップのみという特性を活かしたダイナミックな変化のある内容から、
ギャグイベント、或いは結論を迎えても、結果的にどの様な影響を与えたのかわからないものまで、実に多種多様である。(どうやら同じイベントでも、主人公毎にリアクションまで異なるようだ。)

私はレオナルドで開始し、かなり寄り道したものの、未だ行く事の出来てない施設やイベントはかなり残っている。

仲間キャラクターに関しても、70人以上いるとのことだが、ほとんど初期メンツから増えなかったため、何か遊び方が非常によろしくないのかもしれない。
●が如く
メイン・サブに共通して、プレイヤーは多々選択を求められ、その選択に応じて
世界や住人に時に残酷な影響を及ぼすけれど、臆する事なく自由奔放に遊ぼう。

石化した住人達を救うことはできるのか


【第四章:グラフィックについて】

プレイヤーが今、どんなゲームを味わっているかで大きく見え方は変化するものだと思う。
特にキャラクターグラフィックは、動画の時点で「変なキャラ」「きもちわるい」と言われている事から不評なのだろう。

私自身はロマサガのリメイクであるミンストレルソングの経験者であり、実は今回のキャラクターに関してはかなり好意的にみている。

少なくとも謎等身ではないし、小林智美氏がデザインしたキャラクターについては
そのイメージイラストに近づけようとしている、と感じられるからだ。
イケメン!殺!

ただ、キャラクターによってかなり見栄えに差があるのは気になる。
例えば主人公の一人であるウルピナと、レオナルドの相方であるエリザベートとでは
圧倒的にエリザベートの方がかわいい。(私がエリザベート贔屓気味である事を加味してもだ!)

と思ったけど少女っぽさはあるね
単純に目的としているかわいさの
ベクトルが違うんだな!

その他のキャラクターでも、かなり見栄えのいいキャラクターとそうでないキャラクターといるのは気になる。

それに70人もいるサブキャラクターは一部モブキャラの色違いがいるのが多少残念だし、
サガといえば人外キャラクターだが、それに相当するキャラがいないのも物足りない。

とはいえロマサガでいう「へいし1」や「へいし2」といったキャラを最後まで連れて歩きたかった私にとって、一部のモブ仲間たちは非常に気に入るところもあった。
泣くな、おでぶちゃん


敵の種類に関しても、固有の敵の数は控えめである。
戦闘が飽くまでルール重視である事、それによって物量が抑えられるのは必然的だが
色違いや名前違いといった感じのが多いのも、多少残念である。
見た目も、「え!その名前でこれなの!?」って思ってしまうものもいる。
例えばこれを「水竜」と言われたら、ちょっと笑ってしまわないか?

わたくし、水竜ともうします

尤も「戦闘について」でも書いたとおり演出面に気を使ってる余裕はないのだが
見栄えの点でゲームに対する意欲を大きく変えるほどの敵が出現するシーンは多くない。


PS4やPCに移行するゲームプレイヤーが増えているなか、この画面は前時代的に感じるかもしれないが、相当頑張ってるだろうと思う。

小林智美氏の絵そのままに遊べる時代がきたら……
そんな妄想を捗らせるグラフィックである。


【第五章:おんがく】

伊藤賢冶氏はロマサガ3あたりで、恐らくルーツである、
ロックミュージックの嗜好性を強く打ち出すようになる。
ミンストレルソングではついにバンドサウンドが全面にでる。

ロック・メタルバンドによくある

・シンセ(オルガン)・ギター・ベース・ドラム

この様な編成だ。

ロマサガ3以来、長らく使われてきたシンセサウンドや曲想はもうマンネリの域に達し
完全なバンドサウンドとなってからは、ゲーム音楽特有の良さはある種失われてしまった。

また、ギターやシンセを解禁した事によって、かえって歌謡曲やJ-POPなるものに
強く近づいてしまう事で、聴くとある種の恥ずかしさが伴う音楽になっている。

これはRe:birth2のレビューでも書いたとおりだ。


ある種、サガに於ける伊藤賢冶氏のゲーム音楽というのは、
それまでにゲーム内で蓄積した疲労やマンネリ全てを過去にするための音楽だった。

バトルにバトルを重ねた末に、究極のバトルと共に現れる最高のバトルミュージック。

ロマンシングサガの"バトル2"
ロマンシングサガ2の"七英雄"
ロマサガ3の"四魔貴族"
サガフロの"バトル4"や"5"は、事実そういう役目を果たしていた。


今作はミンストレルソング以降のロックサウンドは継承しているものの、
かなりゲーム音楽に回帰しているといってもいい。

ウェブサイトで解禁となった直後こそ、音楽のみで聴けてしまうが故にくどく感じたものの、
各主人公にあてられた戦闘曲は、どれもしつこく戦闘を繰り返すうえで必須となる
耳馴染みの良さはあるし、
特にレオナルドの通常戦闘曲である「翔繚乱承!」は構造こそサガフロ1の通常戦闘とほぼ同じなものの、お馴染みのイトケンサウンドを聴ける。
通常戦闘曲としてはカッコよすぎるが、ボス戦でもない、といった絶妙な曲である。
同じく主人公バルマンテの戦闘曲に至っては「え!ボス戦の曲じゃないの?」と思える内容だ。
それ自体本作の戦闘が如何に一筋縄でいかないかをサウンド面で象徴している。

もちろんギターやシンセばりばりの曲はあるし、熱さを意識し過ぎてあらゆる曲でしつこく、
ダン、ダン、ダン、ダンみたいなアクセントがつくところはくどいものの、
すれたスタジオミュージシャンの処理的なソロパートを聴かされる事はなく、
飽くまで伝統的な1ループのゲームサウンドに殉じていると言ってもよい。

過去と比べて珠玉のメロディの数々…というわけにはいかないかもしれないが、
以前に比べるとゲームサウンド回帰しているのは喜ばしい事だ。
(結局ゲーム音楽はゲーム音楽であり、いくらロックのコスプレをしようがロックになる事はない。)

特に「それまでにゲーム内で蓄積した疲労やマンネリを全て過去にするための音楽」は今回、素晴らしい形で用意されている。

しかし、どの曲にその様に感じるかは、プレイヤー次第だし
是非、自分の耳で確かめてみてほしいところ。

【終わりに】
TOKYO GAME SHOW2016で動画公開された当時、嵐のように吹き荒れた賛否両論は一方で「これもサガの運命かな」とは思った。
ある意味でそれこそがサガの象徴であるし、おもしろくもあった。
誰もが心に抱くサガ象は、どれ一つとして間違ってないし、愛ゆえに……だと思う。
そんな空間になるのも、サガ特有の事だろう。
常に自主性と自由をプレイヤーに委ねてきたゲームの宿命である。

しかもどれだけ賛否両論が吹き荒れようとも、
最初のプレイが自分だけのものになるとわかりきってるサガは、
結局誰の意見だろうが気にしようがない。
そんな物はどこ吹く風で、自分だけで確認し、自分だけでゲームプレイを
終えられる安心感が、サガには必ずある。

だから同時に、このサガが単につまらなくて、単なる不評で終わってしまう様な内容なら
ゲームプレイヤーを引退しなきゃなぁとも。

何故ならこのゲームは、シリーズ通してディレクターが変わってない珍しいゲームであり、
その方が全力で作ったゲームが単に駄作なのであれば、ファンとしても潔く辞められるというものだ。

結果としては、ターン制RPG自体が「何故ターン制RPGでなければいけないのか」という
根本的な問いの狭間にいるこの時代に、これほど変わった形式で、これほど堅く確実で濃密なRPGを遊ばせてくれる事は痛快だし、おもしろいからこそ、後腐れなく不満点もすっきり言える、という出来栄えだ。

近年90年代RPG的価値感を標榜するゲームは、規模の大小問わず沢山登場したけれど、これぞその見本のような作品だろう。

戦闘のおもしろさ、仲間キャラクターの多さ、イベントの豊富さ、自由度、などなど……。.

プレイ後の疲労感と手応え、達成感は確かに"ロマサガ1"を初めてプレイした時のそれに近い。
(しかし、新要素は、これまでのサガのあらゆる要素が根底に脈々と根付いている事を感じないだろうか……。)

ミンストレルソングが発売された年からいっても、約10年は経過しているわけで、
サガファンの一人である自分にとって非常に感慨深く、ゲーマーとしての一大イベントを
確実に一つ終えてしまった事に対する深い切なさを覚えると共に、
新たな一歩を踏み出したサガにこれからも期待していたい。

結局のところ、河津秋敏氏がいて、タイトルがサガであれば、サガは成立する。

そう思わしてくれるだけの作品だった。
これほどさっぱりとした気持ちでエンディングを迎えられた事に、
前向きなレビューを記せた事に、私自身がとても意外に思っている。


いずれにせよ、サガに興味を持っている人や、往年のサガプレイヤーで本作を知らなかった人、元々ファンだったが本作をなんらかの不満であきらめてしまった人に、少しでも関心を持っていただければ幸いである。




筆者ロジオン

画像引用元:雪月花ボックス付属品「イラストボードブック」



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