【PS Vita】Soul Sacrifice(ソウルサクリファイス) レビュー 3/21修正・追記 ★おすすめゲーム

        「あらゆる誤解」

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①発売まで
ゲーム天国はネット特有の誤解から大惨事を招いてしまったイベントであり筆者も未だにこのことを覚えている。

当時はVitaユーザーが新作情報や既存ゲームのアップデート情報に飢えに飢えていた時期だったし、過剰な宣伝はユーザーの期待を煽る一方だった。

ユーザーはリアルタイムの発表会のようなものを行うと想像していたのだ。

しかし結果はもう既に知ってのとおり、短い動画がいくつか公開されただけだった。

後になって考えれば別にこの短い動画群が決して悪いわけではない。

自分も開発者の開発秘話などを読んだり見たりするのは大好きだからだ。

ほとんどのゲーム情報がその年の終わりから来年の情報ばかりというのも良くなかった。

当時は丁度ラグナロクオデッセイのオンラインアップデートが今か今かと待ち望んでいた時期であり、全く音沙汰の無かったドラゴンズクラウンの情報も待ち遠しかった。

つまりゲーム天国の時に発表された情報は、近場の予定を公開するようなものではなかったのだ。

よって発表形式から内容までその全てが全力で空回りしている状態で終わってしまった。


本作Soul Sacrificeも小出しにされる情報で一喜一憂した沢山の誤解から始ったゲームである。

ゲーム天国の中でタイトルすら発表されなかったものが一作品だけあった。

稲船氏が「まだ言えないですがすごーいゲームを作っています」と言うあれである。

ネット情報に毒されている者ならば誰もが稲船の二文字に良い印象は持っていなかったし「まーた稲船のビッグマウスが始ったか」と、誰もが思わざるを得なかった。

また、タイトル自体も発表されなかったので心底どうでもよかったというのが正直な感想じゃないだろうか。


Soul Sacrificeなるタイトルが初めて露出したのはゲーム天国とは全く関係の無いところだった。

この時点では魔法使いがテーマのゲームという事といくつかのくらーいイメージイラスト、とても短い抽象的な動画が公開されただけであった。

SCEが関わってるとのことからデモンズソウルやダークソウルの関連作品では無いだろうかと噂された。

しかしユーザーが誤解してしまうには十分な下地があった。

「ソウル」、「SCE」、「ダークファンタジー」とくればデモンズソウル或いはダークソウルシリーズ関係の何かだろうと連想してしまうくらいにデモンズソウルやダークソウルは人々の記憶に染み付いていたからだ。

情報が解禁されていくなかでこれはどうやら稲船の作品らしいぞという事が分かってきた。

これでまた多くの人がかっくり来たのは言うまでもない。

まだカプコンに居た当時の稲船氏はあらゆる意味で精神的な過渡期にあったことは誰の目から見ても明らかだろう。

稲船氏は大流行した「どんな判断だ」を皮切りにその過激な発言で一気に注目を集める事なった。

最初の稲船氏のブログは、金(きん)の絨毯だか置物を置いたような部屋に自分がソファーだか社長椅子に座ってるという心底悪趣味なアイコンを設定していて、この隠しもしないハングリー精神がまた、多くの者の神経を逆撫でしたに違いない。

そのブログで稲船氏は業界と、恐らくカプコンと、荒れに荒れるコメント欄と激闘を繰り広げていた。

筆者は当初「日本のゲームが海外に負けている。」という発言が何故そこまで叩かれているのか理解出来なかった。

当初滅茶苦茶ブログが炎上していた時、私はあるハンドルネームで「何故そこまで叩かれているのか分かりません」という趣旨の長々としたコメントを書いた事がある。

しかし後の数々の発言の矛盾で稲船氏には疑問を抱かざるを得なかった。

なかでもモガベーグリーなどのソーシャルゲーム会社持ち上げは決定打となった。

その瑣末を一々全ては書かないが、こういった出来事が原因して少なくともネットを利用するゲームユーザーは稲船氏に良いイメージを持っていなかった。

その様な印象をもたれている稲船氏がダークファンタジーで且つタイトルにソウルと入れているこのソウルサクリファイスは誰もが一瞬「パクリ」「発想の横取り」と浮かぶのはその時点で仕方の無い事だろう。

ゲームが発売された現在ても、モンハンぱくりやがって、ソウルシリーズのブームに乗っかりやがって、と思っている人がもしかしたら居るかもしれない。

(このソウルサクリファイスというタイトルについて補足を付け加えるがこのタイトルは元々SCE案であり、稲船案は却下されていると発売直前のニコニコ動画の放送で述べている。)

しかし更に情報が解禁されていくと、それが単なるソウルシリーズのパクリとは言えない様な、従来の携帯ゲーム機のクォリティではあり得ない様な画面を見せられ再び興奮した事はもう言うまでもない。

「犠牲と代償」「ダークファンタジー」というジャンルをゲーム以外のフィールドで見た時、それは決して凄く新しいものではない。

漫画ならベルセルクがあるし、カードゲームならMagic The Gatheringがある。

まぁ物語の部分にフォーカスしてみると、数え切れないほどの物語が存在し、その手法は出尽くしていると言ってもいい。

全く新しい発想というものは存在しないのかもしれない。

そこを無理に新しいものを造りだそうとすれば、いっきに荒唐無稽で専門用語だらけでさらにその専門用語の解説に数行を費やさなければいけない様な、そしてその解説でさらに読み手がこんがらがってしまう様な馬鹿げた物語が完成するに違いない。(別に近年のFFを批判しているわけではない。)

問題は過去の偉大な作者、偉大な作品とテーマが重複した時、それをどう表現するかに全てがかかっていると思う。

同じ骨格を持ったお話であっても表現方法が異なれば全く違ったカラーに見える事はあらゆるゲームを遊ぶ、または本を読んでいる人間なら分かる事ではないだろうか。

もしここでキャラクターの台詞や物語の文章に、引用としてではなくさも自分が思いついたかのように偽装して、一字一句違わぬ文章を入れてしまったらそこで初めて「パクリ」と呼んでもいいのかもしれない。


ゲームは物語という文字の表現だけではなく、音楽、アートワーク、ゲームシステム、ボタンを押す感覚、あらゆる角度からその世界観を演出する事が出来る唯一の装置。

そしてゲームシステムは素晴らしいアートワークや音楽、重厚な物語に負けてはいけないし、世界観に比例したものでなければならない。

映像美だけが進化していく、或いはそれすらもしない内輪的なゲームを見ている何故もっとこういうところが進化しないの?とよく思う。

ゲームシステムはゲームを最も面白くする基盤であり、物語が面白いだけなら本を読めば良い。

ある時を迎えてからはゲーム製作者の出来る事とユーザーのとめどない妄想力は逆転してしまった感がある。(これはタクティクスオウガ運命の輪が出たときにも書いた事。)

ユーザーの妄想の進化は、ゲーム製作者の進化よりもずっと早い。

或いは製作者の実力はあるのにそれが出来ない「極東島国特有の何か」がずっと立ちはだかっているのかも知れない。

自分は特別洋ゲーというものを贔屓しているわけではないが、新しいゲーム的(システム的とも言う)な試みに対してダイレクトに評価するユーザーが多いのも、ユーザーの妄想力を実現する人間がいるのも向こうではないかと思う。

とは言え洋ゲーがいつも革新的であるかというとそうでもないと考えている。
単にクォリティが倍日本より上なだけでFPSが流行ったらFPSが出続けるし、Diablo3なんかは天下のブリザードともあろうものがとんでもない懐古趣味的なゲームを出してきたのであれは何気にゲーム界の大事件なんじゃないかと思っている。オンラインゲームもアクションが主流になりつつある中で単なるクリックゲームを出してきたからだ。

懐古趣味的なファンを抱えればゲーム作りもそうなってしまうという事なのだろうか。

しかしそんなマンネリな流れの中でもまた凄いパワーを持ったタイトルが登場するから向こうは凄いのだ。

(かつてスクウェア(スクエニではない)もカプコンもそういう会社ではなかっただろうか。)


②ゲームレビュー
そういう意味ではこの作品はゲームの外観がダークファンタジー&グロだから、という表層的な部分だけではなく、ゲーム的な新しい試みが洋ゲーライクと言える。

モンハンが大流行して以来MOゲームの派生系であるマルチハンティングアクション形式のゲームが沢山産まれる事となった。

ゴッドイーターやロードオブシリーズ、ラグナロクオデッセイ、そしてソウルサクリファイス。

この全ての作品が大流行したモンハンとの比較や批判の洗礼を受ける事となった。

一部(ではないかもしれないが)モンハン以降のハンティングアクションゲームを頭ごなしに「パクリ」と呼ぶ傾向があるのでその問題に触れずには通れないだろうと思う。

①で書いたパクリの話ではないが、開祖である作品以外は同じ構造の中で如何にオリジナリティを出していくか、という事にかかっている。

もし亜種、派生系を全てパクリと呼ぶならばモンハンはPSOのぱくりと呼ばなければいけなくなってしまう。そしてそのPSOすらゲーム構造ではディアブロのパクリと呼ぶことが出来てしまうだろう。

多くのRPGはその源流を辿っていけば未だにウィザードリィやウルティマに結びつく。

だが一々ウィザードリィのぱくり、だとかウルティマのぱくり、だとかディアブロのぱくり、とか言う人はいない。

それは同じ構造をながらも別の表現をする事に尽力しているし、成功しているからである。

ゴッドイーターはモンハンのフォロワーであることを開発陣が自認しながらも別世界として成立しているし、ラグナロクオデッセイはそもそもモンハンの影響を見る事が出来ない。

単なる"狩りゲー"の枠組みを採用しただけの別ゲーである。

ソウルサクリファイスもそんなマルチハンティングアクションという括りの作品の一つである。

モンハン以降の"狩りゲー"を頭ごなしにパクリと呼ぶ事はいささか短絡的であると思うけれど、そうは言いつつも国内最大の成功例であるモンハンがユーザーの中で比較対象になる事は必然的であるとも言える。

ソウルサクリファイスはそもそも原案の稲船氏が元カプコンという事もあってモンハンは物凄く意識しているとの事だし、CMも敢えてそういう作りになっていると言う。

であるならばますますモンハンとソウルサクリファイスの比較は避けられないものと考える。
(短絡的にソルサクがモンハンを超えたという評価する事に関しても疑問を覚える。)

パクリと呼ぶ事と比較をする事は別問題だ。

先に断っておくと、自分はモンハンが余り好きではなく、ソルサクの世界観はどんぴしゃだ。全てに於いて。それはまず大前提です。


PS Vitaは携帯ゲーム機としては破格のスペックを持ちながら未だそのスペックに見合うタイトルが出てない事は誰もが認めるところだろう。

小粒ながらも輝くタイトル群はどれもそれぞれのシリーズの中で最高峰のクォリティを誇っていたけれどパッと見てこれは凄い!と言えるような、正に高スペック携帯機という事を体現するゲームが少なかったのがVitaの現状である。

Vitaユーザーの或いはVitaを買わない人の「ゲームが少ない」は恐らくそういう作品が少ない事から来る「ゲームが少ない」だったのではないだろうか。(最もソウルサクリファイスを除くラインナップを見ても有名タイトルという事に拘らなければ十分満足に足るラインナップであると思うが。)

PSPもしくは3DSに出ているゲームよりも「凄い表現!」と思わせなければ特に高価格も祟って買う人は少ないだろう。

そんな最中に発表されたのがソウルサクリファイスだ。

ファーストタイトルという事もあって一作目から異例の宣伝が行われたしイベントなども凄かった。

SCEは強力なタイトルを保持して自分達で広め、育てあげなければいけない事はあるサードタイトルが去った事により痛感しただろう。

Vitaの値下げ発表時もソウルサクリファイスは物凄い力の入れようで、SCEの一番偉い人は「満を持して送り出す"ビッグタイトル"です」と言い切った。

しかし自分はまずここに疑問を覚える。

一作目からビッグタイトルである作品はそんなに存在しない。
今では14まであるファイナルファンタジーも一作目は当時のジャンプの編集者から「新しいドラクエ?」といわれているし、デモンズソウルもビッグタイトルとして売り出されたわけではなく全く逆で偶然売れてしまったのだ。
モンスターハンターも一作目からヒットしたわけではなく根強く育てあげたタイトルだ。

意地悪な言い方にはなるが、苦戦を強いられているSCEとしてはビッグタイトルであるという既成事実を作る必要があった事は確かでないだろうか。

画面から受ける印象はビッグタイトルと呼んでも遜色ない出来だし、話題を作るうえでも十分なクォリティだったから間違いではないのだろうけれど。

自分達でビッグタイトルです!と言ってしまうのは余り格好いい宣伝だとは思えなかった。

ビッグタイトルは然るべき過程を経て成るものではないだろうか。

勿論なりふり構ってる暇は無いというのも分かる。無駄なプライドは利益にならないからだ。

また稲船氏の作戦であるとは言ってもモンハンに酷似したCMはソウルサクリファイスファンにとっては逆撫でするものだろうし、これが正しいか正しくないかは最終的な数字が語るだろう。

マルチハンティングアクションゲームとして一過性の火力で終わってしまっては困るが一先ず第一段階はクリア出来たのでは無いかというイメージだ。

冒頭で書いたとおりこのゲームは洋ゲーライクで、このゲームはグラフィックを見た時に真っ先に洋ゲーのそれを思い出すが、ゲームシステムにまでその精神が荒削りながらも行き渡っている。



アクションの複雑化(コンボの導入)をすればパーティプレイしているのにも関わらずシングルプレイのような手触りになるか、パーティでプレイを優先すればアクション部分が弱くなるというゲームが沢山あるなかでこのゲームはかなり高い位置でその両方を実現している。

前衛役はとにかく敵に接近して攻撃するが相手が突進攻撃をかまそうとしてきたら盾を構えたキャラの後ろに隠れたり、範囲回復魔法を放つものがいればすぐさまその場にかけつけたり、1人が時間を止めれば皆は総攻撃をしたり…

複数プレイだという事を否でも感じる事になるだろう。

味方に攻撃判定がある魔法は、敵対的なプレイをしないのであれば使用側は気を使って味方と敵の針を縫うようにして使うプレイスキルを求められるし、逆に「あ!あいつがあの魔法を使うからどいた方がいいな!」と勘を利かせて避けたり。

この辺の絶妙な匙加減を実現させたゲームはそうないのではないだろうか。

クリア後
流石に結界魔法という複数人で使う魔法がオンラインプレイで上手くいってるところはまだ見た事が無い。(Vitaにブルートゥースキーボードが対応して欲しいぜ!と思う。)

生贄と救済というシステムも今までありそうでなかったプレイヤーに大きく関わる要素の一つ。

プレイヤーの誰かが瀕死になった時、単に死んで終わりなのではなく生贄か救済かを選択する事になる。

救済
生贄
救済は文字通り死んだプレイヤーをもう一度戦線に復帰させる事が出来る。自分のHPを支払う事にはなるが。

生贄を選ぶと生贄魔法が発動し敵に大ダメージを与えるがプレイヤーは死んでしまう。

瀕死になったプレイヤーは用意されたメッセージで「生贄にしてくれ!」か「救済してくれ!」かをアピールする事が出来る。

面白いのはこのとき潔く「生贄にしてくれ!」と言うと救済してくれる人は多い。

人は素直に謝られるとかえってこっちが悪い気がしてしまうものだが、未練がましかったりする人間には厳しいものである。

この選択も、そんな心理が見え隠れするようで面白い。

また、救済してくれと言ってるのに生贄にされてしまった人間の行動が面白い。

戦闘終了後、生贄にされてふてくされた人間は部屋から落ちてしまう事がある。

勿論救済してくれと言ってるのに生贄にするのはいつも以上にRボタンが重たいが、殺らなければ仕方の無い場面だってある。この瞬間、非常にゾクゾクとした快感を覚える。

聖レベルと魔レベルという分かりやすいレベル表記以外に隠しパラメータ「友好度」が上下しているようで面白い。

ここまでがこのゲームの魅力だろう。

多くのオンラインRPGはロールプレイとは言いつつも善き人を演じる事を強制される。

しかし本来モンスター側が悪の勢力で人間が善の勢力なんていう単純なものではない。人間そのものがモンスターのように醜い事だって多々ある。

このゲームではそれなりのリスクを背負った上で悪の魔法使いを演じる事が出来る。
(チャットの定型文もユニークだ。)

でも実際ゲームプレイでこのような悪の魔法使いが現れたらウザイ事この上ない。

何故ならプレイヤーの行動を邪魔してくるだろうし言動もいけ好かないものだろう。

こういう場面で活きてくるのは味方にも攻撃判定のある魔法だ。(ダメージは無い。)

悪の魔法使いが現れたらそれが悪の魔法使いである事を口実に徹底的にこちらも正当防衛として邪魔する事が出来る。(ほどほどにしておけよ!と予め忠告しておく。どんなプレイをするかは本人次第。)

近年こういったユーザー側に多様性を許すゲームは極端に減ったと思う。

とは言ってもこれはまだ一作目の試作段階という風に感じた。

物語の中では巨大な恐ろしいモンスターと戦う以外にも場合によっては生身の人間と闘う事になるのだから、もっと過激な魔法使いとしては魔法使い同士で戦えるPvP(PKとは違う)を用意して欲しいところだ。

共闘がコンセプトの本作とはやや合わない設定かもしれないが、これだけ魔法使いがいるのだからそりが合わない魔法使い同士はきっといるだろうしそれを許容できる世界観だと思う。

全て魔法だけでそれを行うというのもぶっ飛びのゲームシステムで、最初多くの人間が「魔法で全てを行うなんて地味になるんじゃない?」と思ったに違いない。

まずここで不安になった。

自分は前衛かつ素早いスタイルで、一発でも攻撃喰らったら死んでしまうようなキャラクターを作るのが好きだし、魔法という字面から受ける印象は前衛キャラクター好きからすると非常に地味なものである。

しかし魔法は供物を使用することで発動可能だが剣も斧も拳も矢を飛ばす行為も全て可能になる。

これも杞憂であった。

供物は一定回数使用すると壊れてしまい後で修復しなければいけない事からこの点に不自由だ、との声が挙がったが、モンハンがあらゆる不自由を被ることでゲーム性を持たせていたように、ソウルサクリファイスではこの供物管理の不自由な点が単なるごり押しゲーにさせない大切なポイントとなっている。

モンハン以外のハンティングアクションは爽快感を推すことでゲームの独自性を強く押し出しているがソウルサクリファイスもそこは変わらない。
しかし他の爽快感重視のハンティングアクションとは違い供物回数を管理させる事で殴って終わりの一方通行のゲームにはさせないし、且つ爽快感を殺さない事に成功している。

それでも供物(魔法)300種類は字面だけ見れば物凄い数に思えるが実際は下位系の進化系を含んだ数だし、実際そこまで奇抜な魔法があるかと言えばそういうわけではない。

時間を止める魔法は正にアクションゲームに於ける禁忌を実現しているがこの様な個性的な魔法は意外と少ないし次作でもっと個性的な魔法を増やしてほしいところ。(地中にもぐる魔法や吸い込む魔法は珍しくてよかった。分身する魔法なんかも欲しい。)

供物の大元の基盤が多いわけではないので割りと似たような構成になってしまう事が多い。
他のゲームで言う様々な職業を魔法構成で表現する領域にはまだ至ってない。

そして一つ一つの供物のアクションの表現が少し稚拙かな。
近接武器系の魔法は攻撃パターンがそれぞれに一種類しか無く攻撃が単調になりがちだし、アクションゲームなのに溜め攻撃はあまり面白くない。自分で操作出来てこそだと思う。
マリシアスのように剣の魔法なら「突く」「斬る」など二種類くらい攻撃パターンがあったらいいかもしれない。それを組み合わせる事で技が出てもいい。
今の近接武器は単にボタン連打してるだけでも攻撃を当てる事が容易い。
もっとアクションゲーム的なテクニックが前衛武器には求められても良いのではないだろうか。

敵に向かって飛んでいく魔法もボタンさえ押していれば必ず三回攻撃を当てられるのだがこれも単なる連打ではなく、タイミングよくボタンを押すことで2回、3回と発動する方式がよかった。
PSO2はボタンをタイミングよく押すことでジャストヒットさせることが出来、単純なアクションながらも単なるボタン連打系を脱している。

一作目だからやさしめだったのかもしれないけれどこの作品で鍛えられた魔法使いは次はもっと面白いアクションを望んでいるだろう。今はまだアクションの構造が単純だ。

また、モンハンが努力の対価として最も分かりやすい武器や衣装を示しているのに対し、ソウルサクリファイスは供物・魔物の魂、気・衣装の特別カラー(敵の生贄100体or救済100体)と非常に地味なものが揃っている。

この中で視覚に訴えるものは魔法の元となる供物と衣装の特別カラーであるが、衣装その物は基本的に物語で、カラーはギルドクエストをクリアしていけば自動的に手に入るし、供物は確かにモンハンで言うところの武器なのだがそれが地味だ。

魔法という事を意識しているせいか例えば武器魔法の剣などはシンプル過ぎるデザインで、上位系の魔法武器であってもあまり上位という印象を受けない。もっと武器らしいデザインにしてもいいのではないか。

同じ氷という属性であっても見た目に何種類かあって欲しい。

上位武器だけエフェクトを特別なものにして欲しいという声もあった。

衣装もこれだけモンスターがいるのだからそのモンスター専用の供物を作成に用いるんでもよかった。

やり込みの部分は視覚的な部分では無く日本一ゲームのような数字の部分が大きい。

主に人型魔物を生贄に100回捧げたらカラーが増えるとか、モンスターの魂や気をいくつか集めたら刻印が使えるようになるとか。

それよりは単純に何らかを素材にするほうが衣装はメリハリが付くと思う。


衣装と言えば基本的にキャラクターが装着する衣装は一つ一つ癖はあるものの、色を変えただけで見栄えが変わる、格好良い装備ばかりである。次回作ではもっと数が欲しい。
それに対して顔のデザインは和ゲーに親しんでる人ならばかなり厳しいものがあるのではないだろうか。洋ゲーライク過ぎるそれは、特に女性キャラクターには修正が必要だろう。女性は結局1以外の顔は使いづらい。おかしな顔が多いからだ。男性キャラは一見使えない顔でも色黒にしたりスキンヘッドにしたりする事でキャラが立つ場合があるし、一概に全て駄目とは言えない。
男の顔タイプ18は非常に使いやすい。次回作とかだと既存の顔が一新されてる場合があるけど、良い顔はちゃんと残してよね!




色々言われてるロビーだけど、静止画は一枚の絵のようでいいよね
この手のゲームを今までに遊んできた人間ならば最も戸惑ったのはフィールドやボスにたどり着くまでの道中の仕様じゃないだろうか。

これまで多くのゲームはボスにたどり着くまでにそれなりの距離を冒険して辿りつく必要があったけれど、このゲームは道中をノベルで表現し、ボスには恐らく1分もかからず到着する。

体験版を初めてプレイした時は余りの簡素さに驚いた。

稲船氏はソーシャルゲームを作ってたこともあるらしいし、事実ソーシャルゲームを持ち上げる発言もしていたこともあって、ソーシャルゲームの影響が抜け切ってないのか、とすら思ったがどうやら意図しての事らしい。


このゲームでは結果的にその表現は間違ってないと思う。何故ならばこの仕様もやり込みに大きく関わってくるからだ。

ゲームをたった一度しか遊ばない、という人なら道中の表現がとても無味乾燥に思えるかもしれないがやりこもうと思った時に煩わしさが出てくる。そういう事も含めた設計だろう。

供物集めは大変というよりは単純に数をこなさなければならないので、これで道中が長かったら・・・と考えるとゲンナリする。

だから供物集めに関しても少し改良の余地が必要だと感じる。後半リブロムの涙(お金のようなもの)がだだ余りする事になるが使い道が無いし、初期供物は少し高めの設定で買えても良かったのではないだろうか。

フィールドは非常に簡素だしまだ単なる入れ物という粋をでてないと思う。場所によっては全く見え方が違ってくるモンスターもいるがこれもまだ試作段階と言った感じだろう。もっと特徴付けが欲しい。

空中のステージは落ちたら死んじゃうとかもいいよね。(一方でゴロゴロ魔法はどうすんだ!とも思うけれど)

それに探索系クエストがとっても地味。内容は集める物の数が違うだけで全て一緒。わざわざこの探索クエを用意するくらいなら探索クエをこなして衣装を増やせたっていい。


多くのゲームが店やギルドなどの各施設を歩けるフィールドとして表現しているが、このゲームは全て本の中で表現している。

もし次作品がでるとするならば、このスタイルを次も続けて欲しい。

カードワースというとても古いパソコンゲームがあるけれど、あれは戦闘から何から何まで全てカードと背景画像で表現しているし、物語の部分はほぼ文章とBGMだけで構成されている。

各施設は決して派手なものではなく、その雰囲気が伝わる表現方法で良い。

ルナティックドーンなんかも街や施設なんかは項目から選べるもので歩き回るタイプではない。

このゲームの表現方法はバトル以外は全て本だから次の作品なら本のページに各施設のイメージ絵が描いてあって、それをタッチで選ぶといった事も可能だろう。

次は是非、お店やギルド(クエスト表示だけでなく)を本の中に収めて欲しいものだ。


ただ次の作品はもう、牢獄に囚われた魔法使いという設定では無いし、リブロム(本のキャラの名前)ではないかもしれない。

だからもし次の作品も本という表現方法にするならばそれなりの理由付けが必要だが、捻らずに単にゲームブックだから、とか、禁断の魔法書を読み手が辿っていく、という理由付けでもいいのかもしれない。

とにかくこの本という表現方法を捨てないで欲しい。




文章は文献の項目と物語では随分表現に差がある様に思う。

文献は長い文章で一つ一つの細かい文章を丁寧に描写しているし、こういう物を読む人が大好きな人にとっては唾涎ものだろう。この設定を考えた人が自分の中にオリジナルを抱えている事が十分に分かる。

それに対して物語はと言うと魔法使いの常識を表現しているせいか普通の人間にとっては少し荒唐無稽であったり、声優の演技が相まって過剰であったりする。このことから深刻であるのにどこかこっけいに感じる部分がある。(やった人なら分かると思うけど、何年も何年も・・・のところとか)

人物描写も例えばあるお金が大好きなキャラの表現ならいつも金の事しか言わないし、24時間同じ事言ってるの?という印象が否めない。それはニミュエの「殺すぞ」も同様である。
捻くれたがりな高校生に向けているという話もあるが、少しこの辺の表現は稚拙に感じた。
(ただそういう面もある一方で同行者の話はどれも好きだったしリブロムやマーリンは出色の表現だと思う。きちんと行間を読ませる設定になっている。)

まぁあんまり物語の話に触れるとネタバレが避けられなくなってくるのでほどほどにしておく。

アクションがメインのゲームなんだけれど道中を極端に削って本文で代わりにその部分を表現しているのだから、文献並みのクォリティに仕上げて欲しかった(それでは文章が長すぎると投げる人間もいるだろうか。)

文章表現と言えばギルド(アヴァロン)のクエストにも一回くらいは強制的に読まされる文章が全てに用意されていてもいい。全て共通の2つくらいのパターンの設定が用意されて、それが表示されるだけなので少し味気ない。それぞれ全てにきちんとした物語が用意されていたら、もっとゲームに没頭できるかもしれない。


そういう意味では音楽はゲームを盛り上げる意味で素晴らしい役目を果たしている。
(というか本編を相当音楽で補ってしまっている部分もある。)

スカイウォーカーサウンドで録られたというその音は日本のゲーム音楽家が単に「生音使ってみました」というのとは全く異なる音になっている。

大抵ゲーム音楽家がデジタルサウンドから生音に移行すると単に生音を使ったというだけでデジタルサウンドにも劣る音にすら感じてしまう事が結構あるが、そういう事は一切無い。

生音を使いながら、作曲家の自己満足、エゴは一切含まれていない。

ゲームの世界観を表現するために一途であると言ってすらいい。
俗っぽくないのが良いってことだね!これは演奏者の精神にも関わってくると思う。

どうやっても他のゲーム音楽の「生音使ってみました」からここまで研ぎ澄まされた音を聴き取ることは難しい。

何というかゆるく無いしぬるく無い。

バトルの音楽は言うまでもなく格好良いが、注目すべきは文献で流れる音楽や本編の文章の裏で流れる音楽だろう。

大抵ゲームと言えばバトル曲が人気が出る事間違いなしなのだが、このゲームのBGMは、バトル曲に並ぶほどにそれ以外の曲が単に言葉で素晴らしいと言えない何かを持っている。

私は特に「トラック19灰色の雨」が好きだ。

次回作でもこの物凄い音楽家2人を呼ぶ事が出来るだろうか。
光田氏の音楽を聴くのは「クロノトリガー」以来だった。

このゲームをやってない人でもサウンドトラックは買う価値のある一枚であると断言出来る。
(勿論ゲームからやって欲しいけど)

しかしCDを聴いた人ならば分かると思うがゲーム中とCDでは全く聴こえる音が違う。
大体ゲーム音楽はそうなりがちだけど、ここまでゲーム中で細かい音が聴こえないゲームも珍しいんじゃないかな?


③総評
別の記事でも書いたような気もするけど自分はハンティングアクションというゲーム構造が好きじゃない。ついでに言うとモンスターハンターが流行ってた時も「随分古臭いスタイルのゲームが流行ってんだなー」と思った。

(自分の中ではモンスターハンターはオンラインゲームをやらない人が、初めてオンラインゲームのような中毒性のあるゲームを、リアルの友人と遊べるから流行ったのだと当時結論付けた。
それはゲーマー以外に遅れてやってきたオンラインゲームブームだ。)

オンラインゲームからオンライン部分を抜き、そのままオフラインゲームにスケールダウンして落とし込んだゲームというイメージがずっとあった。

基本的に拠点からフィールドにでる事は目的を定めるまでは無い。

つまり世界に出向く時は常に報酬という下心を抱えて出向く事になる。

フィールドは単なる入れ物。

自分にはハンティングアクションはコストパフォーマンス重視のフォーマットだという風に見える。

勿論、RPGの広いマップにそこそこ数のある街、そしてその上に乗る巨大モンスター、3Dキャラのアクション、全てを表現していたら費用がいくらかさむか素人には全く想像が出来ない。

ならばともっと極端に削り取れるだろうと削ったのがこのゲームだ。
無駄に無駄を重ねていく、そして無駄こそが魅力のオープンワールドとは対極にある世界だ。

今となってみれば古いドット絵の表現であっても広い世界を冒険してきたファンタジーゲーマーならば一瞬戸惑ってしまうこの簡素なノベルゲームとアクションゲームという初の組み合わせは発展途上ではあるが成功している様に思う。(それは古いゲームと次世代ゲームの融合であると考える。)

ソウルサクリファイスがハンティングアクションだと知った時は正直「またか」と思ったけれどそういう部分においては全く異質のものであった。

稲船氏は自らをひねくれ者だとか、同じ事をしたくない、だとか言っているけれど、ゲーム内容は確かにその通りな内容だった。

なら、もっと次回作ではゲーム内容を先鋭化して欲しいし、既存のハンティングアクションをまた一歩踏みでる形の作品をソウルサクリファイス2では実現して欲しい。

まだまだ尖れる。ノベル部分もまだまだ表現出来る。画面ももっとやれるだろう。

前述したゲームレビューではやや厳しめな意見も目立つかもしれないけれど、ディアブロ1(ブリザードのゲーム)からファンタジーゲームが大好きな自分にとって、これだけどんぴしゃな世界観(物語は全部とは言えない)は近年この方向性では存在し得なかった。



萌えといったものが好きな層と、ゲームが好きな層が一致したある時期を境にアートワークはとても画一的なものになっていき「まーたこんなアートワークか」なんて思う事が多くなった。

好きなゲームが懐古趣味であっても、ゲームに対して求めるものは自分が懐古的だと思わないが、かつてのゲームを振り返ると、アートワーク一つとっても各々のオリジナリティに溢れていたと思う。

「市場がこうだから~」なんてものが裏事情にあったとしてもユーザーに感じさせるものはほとんど無い。それだけに消えていったものも沢山あるが。

そういう意味では久々にすげーのが来たな!と嬉しかった。
勝負しているデザインだから。

このゲームはハンティングアクションの一作目の例に漏れず滅茶苦茶荒削り)な作品であるし、SCEの本村氏という方が開発の段階で一回は「まだつまらない」と言ったらしいがそれが分かる部分が結構まだある。(荒削りではなく単に粗いと言いたい人間もいるだろう

しかし持ってる世界、設定、アートワーク、音楽それら全ては明らかに「モンハン」に並ぶものだし、且つそれは異質でオリジナルなものではないだろうか。

とりあえず流行ってるハンティングアクションって形式を採用してみたよ、という感じのゲームでは一切無い。

去ってしまったモンスターハンターの亡霊を追い求めるかのようにソウルサクリファイスを良いという人間もいるけれど、このゲームは全くの別物だと思う。

そしてゲームのクォリティで言えばまだ、シリーズを重ねてきたモンスターハンターの緻密さにはまだ一歩及ばないと結論付ける。

何を言ってるんだ!という人もいるかもしれないが、モンハンとソウルサクリファイスを比べてよく出来てると言う人が多いから敢えて。

それにあっちは何作も重ねてシリーズを育てあげてきたのだから当然と言えば当然だし、モンハンの世界が余り好きではなく自分にとってはソルサクの世界がどんぴしゃであるからこそ敢えてそう言いたい。

SCEはこのビッグタイトルの卵を大切にすべきだ。

そう、ビッグタイトルの卵である。

そして脂の乗り切った第二作目を出して欲しい。

いずれにしても古くからのファンタジーゲームファンの自分にとっては最高の世界のゲームがまた一つ増えました。

ファンタジー好きでマルチプレイ大好きならマストプレイです。

とにかく一作で終わらせないでくれー!


今後半年にわたってDLCを配信していくそうですが、モンスター追加は無料、エピソード追加は有料、という事で単なるアンロックDLCと異なるのも素晴らしいです。

恐らく少なすぎる魔法使い達のエピソードが追加となるのかな?

いずれにしてもまだまだ楽しみなゲーム。

(何気に体験版の衣装で、長髪にした際フード付きでは見えなくなってしまった髪が製品版では見えるように修正されていて驚いた。ナイス!)



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